「キャッチボール」  この日、藤次郎は会社の野球部に助っ人として参加していた。対戦相手は玉珠の会社の チームなので、玉珠を連れて河原のグランドに行った。  両方の会社のメンバーが時間になってもなかなか集まらないので、その間、藤次郎は体 を動かしてウォーミングアップをしていたが、あまりにも、玉珠が退屈そうなので、玉珠 をキャッチボールに誘った。  「だめよぉ…」  と言いながらも、玉珠はうれしそうにグローブを取り、藤次郎について行った。  藤次郎が玉珠にボールを渡し、10メートルほど離れてから、  「さて、投げてごらん」 と言って、グローブを構えた。玉珠は「エイ!」と言ってボールをほうると、ボールは放 物線を描いて藤次郎の手前でワンバウンドした。  藤次郎は数歩、玉珠の方に近づいて、ボールを玉珠にほうると、  「もう一度投げてごらん」 と、言った。再び玉珠の投げたボールは、放物線を描いて、今度は藤次郎に届いた。  藤次郎はウーーンと考えてから、  「いつも、俺にクッションとか本とかぶつけるような感じで投げてごらん」 と、言って玉珠を挑発した。すると…「なにを!」と言って振りかぶった玉珠は  ズバン!  玉珠の投げた球は藤次郎の顔の辺りにストレートで入ってきた。  「…いい球投げるじゃねぇか…」  藤次郎は顔をひくつかせながら、強がりを言った。  藤次郎は、徐々に玉珠との距離をとりつつ、玉珠の投げるボールを受けていた。その間、 ボールは正確に藤次郎にストレートで届いていた。その内、  「へぇ、橋本さんはいい球投げるじゃないか」 と言って、玉珠の会社の人がキャッチボールに入ってきた。玉珠はその人にボールを投げ たが、そのボールはその人とは見当はずれの方向に飛んでいった。  「ごめんなさい」 と、言いながらも玉珠は首をかしげていた。その後、何度投げても玉珠の投げたボールは コントロールを失ってとんでもない方に飛んでいった。しかし、藤次郎に対しては、正確 に届いていた。  「はは、嫌われたかな?」 と言いながら、その人は別のキャッチボールの相手を見つけて、離れていった。  玉珠は首をかしげながら、「何でだろう…」と独り言を言っていた。  「投げ方だろうか…」 と、藤次郎は言いながら玉珠に近づいてきた。そして、藤次郎は玉珠に正しい投球フォー ムを教えた。  再び藤次郎は玉珠と距離をおき、玉珠の投げるボールを受けると、さっきよりスナップ の効いた早く、また重い球になっていた。  「よくなったじゃないか」 と、藤次郎が褒めると「そう?」と言って玉珠は喜んでいた。そうしている内に、今度は 藤次郎の会社の人がキャッチボールに入ってきた。そこで玉珠がその人にボールを投げる と、また、ボールはとんでもない方に飛んでいった。  「変ねぇ…」 と、玉珠は首をひねったが、何度投げても藤次郎以外の人にはボールは正確に届かなかっ た…そんな光景を見ていた誰かが、  「…こりゃぁ、すごいコントロールだ。橋本さんは、萩原に対して本気でぶつける気で 投げているからだよ。他の人には気遣って投げるのでボールが外れるんだ。それだけ、二 人の仲はいいんだよ」 と言ったので、周りはみんな笑った。藤次郎と玉珠は赤くなった。  やがて、予定より遅れて試合が開始された。最初、玉珠はどちらのベンチに座ろうかと 迷ったが、結局、藤次郎のいるチームのベンチに座った。  玉珠の応援にもかかわらず、藤次郎はバッターボックスに立っては連続三振、守っては エラーの連続で全然活躍しなかった。  試合終了後、  「ダメだった…全然役に立たなかった…」 と、言ってしょげている藤次郎に、玉珠は  「ドンマイドンマイ」 と、言って励ましていた。それを見ていた藤次郎の同僚の一人が、  「橋本さんがでていた方が良かったかも…」 と、言ったので、別の人が  「ダメだよ。橋本さんは萩原じゃなきゃ正確に投げられないから」  「それも、そうだ…いや、ピッチャーとしてマウンドに立たせて、キャッチャーを萩原 にすれば…」  「うーーん」 と、言ってみんな考えてしまった。  「あら、わたしは向こうの会社の人間ですけど…」 と、玉珠が言うと、全員「しまった!」と言って残念がった。それほど、玉珠が居るのを みんな自然に思っていた。  しかし、試合後の両チームの懇親会で、誰かが余興で玉珠をマウンドに立たせようと言 うことになり、藤次郎をキャッチャーに座らせて、投げさせると、  ズバン!  と言って、玉珠の投げた球は見事ストライクゾーンで藤次郎の構えたミットに収まった。  見ていた全員、「ほぉ」と言って感心していた。  「二人の内、片方がどっちかの会社に行ったら?」 と、両チームの監督である偉いさんが笑って言った。  その後、喧嘩の度に藤次郎は玉珠が投げた物から受ける傷か深くなった。 藤次郎正秀